水曜日はフェルトへ

今は自分語りしか出来ない…

46年前の酔っ払い

今週のお題「私のタラレバ」

 

私の父は、外資系銀行に勤めていた。20代で融資部長だった。首席で大学を卒業し、将来有望だった。

親子で飲みに行くと、酔った父が上記の話を自慢して聞かせた。というような事は一度もない。母や、家に遊びに来た父の同級生の方々が、父の離席時に聞かせてくれた。

父が私に聞かせてくれる話といえば、マグロ漁船に通訳として働いていた時のちょっとした冒険譚や、新婚旅行時に母が行方不明になってフィリピンの地元警察と一緒に必死で探し回った事、ベトナムのエビ養殖と環境問題など。あとは植物の品種改良の話とか。

サラリーマン時代の話はそういえば聞いたことがなかった。

 

途中まで書いて、また時間が経ってしまった。もうお題の時期からだいぶ過ぎてしまったけど、せっかくなので最後まで書く。

 

父はお酒が大好きだった。家で酔って暴れるといったことは一度もなかったけど、夏の日にリビングで全裸でいびきをかいていた事が一度だけあった。思春期だった私はしばらく父と口をきかなかった。

父が大学生の頃は、教会で通訳のアルバイトをしていたそうだ。牧師さんの説教を、二日酔いで適当に訳したこともあると笑っていた。

初任給で高級なお店に飲みに行き、一晩で全部使ってしまったという話も聞いた。復帰前の沖縄で、警察の抜き打ち手入れがあり、客はみんな隠れて裏口から逃げたとか。

そんな父は46年前、お酒を飲み過ぎてしまい、空港まで行ったもののキャンセルして違う便に乗ることにした。

キャンセルした便は、墜落した。乗員乗客は全員死亡。

その翌年、沖縄は日本に返還され、復帰した。

父は辞職した。病院の事務局長を、という話も辞退した。そして母と結婚した。

父が酒飲みじゃなかったら、私は存在しなかったな。というのは私のタラレバ。

父が事務局長になっていたら…というのは母のタラレバ。

父はこの件に関して何も言わない。

75歳になった今も、毎日店番して居眠りしては本を読む。