泣き笑い
来年の手帳をもう買ってしまった。左が今年の。右が来年の。
先々の予定が楽しみになるなんていつぶりだろう。
来年は体力がついて娘がプレ幼稚園になじんだらお店に復帰する予定。
と言っても夜は無理なので、お昼の営業。
いい加減なことしないように慎重にいかなくては。
娘を妊娠するまでは、AC MILANノートというものを作って写経のようにミランに関することをひたすら書くか、龍が如くをやるか、為替相場を眺めるかという暗黒の日々だった。
この日の経験がのちに活きることはなさそうだ…。
好きなものを思い出したり、無くしていた「実感」を本当に少しずつ取り戻してきていて、毎日ささやかな喜びたっぷり。
娘の成長を夫と奮闘しながら見守るのも楽しいね。
もう記憶を失いたくないー。
さて、アルコールがだいぶ飲めるようになってきたけど、肝心のビールが全く受け付けない件はどうしようかな…。
やっぱりタコス屋のタコライスが一番美味い
マスターキートンを読んでいると、「思い出の味」の話がよく出てくる。
記憶をたどり、レシピを再現して「おぉ…これはまさにあの味…」というような。
いいなぁ、美味しそう、食べたいとは思ったけど、あまり思い出の味というものにピンとこなかった。
食欲は凄まじいけど、食に対する繊細なこだわりなど皆無だったからなぁ。
私は家庭の味というものに無縁だったけど、娘には我が家の味というもので育って欲しい。料理も苦手だけど毎日続けるのみだー!
話が逸れた。
おぉ…懐かしいこのシンプルな味。
シュッとした味!甘みがない、辛さが際立つサルサソースが沁みる…。このバランス…。油もしつこくなくていい。
高校生の頃、お昼を抜いて昼食代でレコードを買っていたなあ。
小銭をかき集めて友人と二人で半分こして食べたなあ。
めちゃくちゃな日々だったけど楽しかった。
思い出の味ってこういうことなのかな。
ノスタルジックでちょっと気恥ずかしいので終わり。
寝言はよいちょ
娘1歳半!自己主張が日に日に強くなり、何事も自分でやりたがるので時間が…
私も根気と元気をもって大らかに対応できればなぁとは思うものの、時にプンスカ時にヒィヒィはやっぱりしちゃう。でも何より成長を側で見られて、イチャイチャ出来て、とても幸せな2016年の夏。写真を撮るのを忘れてしまう事が多いので、振り返り備忘録。
1枚目は玄関のお掃除を手伝ってくれた時の。デッキブラシの向きが逆で、直そうとしても触らせてくれず。この後はちょっと水遊び。
散歩から帰ってきたら、靴を靴箱にキチンとしまう。私も忘れがちなのにどこで覚えたのか。
買い出しから帰ると、ものを一つ一つ取り出して私に手渡し。冷蔵庫にしまうのが楽しくなった。急いでる時は辛いけど。
階段の上り下りは一段ずつゆっくりと一人で出来るように。よいちょ、よいちょ、と私が掛け声をかけると、よいしょ!よいしょ!と娘がまるで訂正するかのように。それが微笑ましくてにやけてしまう。
階段に関しては、お父さんかお母さんと一緒じゃないとダメ!と言い渡しているのを理解しているのか、一人では上り下りしない。その代わり私がちょっとした用事で一瞬二階へ!という時も必ずついてくるので、急を要する時は大変。
ペンも上手に握れるようになった。左ききかな?
オムツ替えと歯磨きさせるのがとにかく大変。お風呂上がりも走り回る。いつの日かおとなしくなってくれるのだろうか。
今年の夏は遠出はないけど、新しくなった我が家で、体調を整えつつ、家族3人のんびり。
来年はまた色々動くかな。今は準備の時。キチンとしよう。
とにもかくにも脳には栄養を
娘の、可愛らしい、幼児特有のくしゃっとした笑顔を撮りたいのだけど、なかなかタイミングが合わない。
この鼻にしわをよせた、くしゃくしゃの笑顔を「RIKACOスマイル」と呼んでいて、娘のRIKACOスマイルが撮れたら本家の写真と並べてニンマリしようと思い、ネット検索してみた。
すると、本家のRIKACOスマイルは思っていたほどくしゃっとした笑顔じゃなかった。
これって認知のゆがみ?いやいや、これくらいなら良くある思い違い、ちょっと想像と違ったなー程度。だよね?友人にRIKACOスマイルと幼児特有のくしゃっとした笑顔について偉そうに説明してしまったので、今度訂正しておかねば。
私は病気で伏せっている間、認知障害のようなものを起こしていた。幸い脳にダメージはなく、今は普通に生活できている。ただ、あまりにも疲れやすく、毎日とにかく眠い。作業効率がとにかく悪い。どうにかこの状況を打開せねば。
ずっと体調や体力がないせいだと思っていたけど、これ脳に栄養足りてないのでは?ちょっと最近割とナチュラル志向というか、なるべく食べ物で栄養を摂る事に重きを置いて、下手な料理も頑張ってきた。でも物は試し。脳に良さげなサプリを8種類ほど注文して飲んでみた。凄い即効性!なんで今まで飲まなかったんだろう。もっと早く飲んどけば良かった。思考力、集中力、作業効率全て格段にアップ。
さすがに8種類は多いので、どれが合うのか見極めながら付き合っていく所存!
それにしても大体の事は脳みそに栄養与えときゃ解決するんじゃないの?って思ってしまうほど効いている。
サプリの効果を実感する年齢になったのね。
毎日朝食のヨーグルトにレシチンの顆粒かけてフルーツとフルーツグラノーラさらに足して食べている。ベリー系はかわいいし朝からこれ食べて幸せ…
ヨーグルトのハネを拭かないガサツさ全開の写真…
なんとなくの上昇感
ビアバーを経営しているのにビールが飲めなくなってしまった。
ああ、この一行を書くのに随分と時間がかかった。
お酒が大好きで、その中でもビールが大好きで、ビアバーをオープンした。
こないだそのお店は5周年を迎えた。
私はそのうちまともに店に立っていたのは1年くらい。体を壊して出勤がイレギュラーになり、全く店に出なくなって3年ほどになる。
小さなバーでひっそりと大好きなビールを飲んでキャイキャイ言ってるだけで幸せだった。
体を壊して気分はどん底。心は荒んだ。そんな私を支えてくれたのが今の夫で、かわいい子供も授かり、出産で病気もなぜか良くなり、今に至る。
もうひとり子ども欲しい。よーし、現場復帰はもうひとり産んでからだ!夜は厳しいからお昼始めようかな〜。
とりあえず妊娠する前にお酒を楽しみたい。最近たまに晩酌するようになったけど、とにかくお酒が弱くなった。グラス一杯でもう酔っ払ってしまう。梅酒やラムなどは美味しいと感じるけど、ビールは頭が痛くなるし、美味しいと思えなくなっている…
とてもショックだったけど、事実なので受け入れるより仕方ない。
現場復帰する頃にはまた体質変わっているかもしれないし。変わらないかもしれないし。出来るだけビールにしがみつきつつ、シフトチェンジが必要なら出来るように何パターンか用意しよう。
またお店に立てるだけ幸せなことなんだから!
写真は親戚からもらったマンゴーで作ったマンゴープリン。しばらくはおやつ作って楽しむかー!
慰霊の日に思うこと
引っ越してもう2か月が経とうとしている。
ある程度落ち着いたらオシャレ感満載の我が家の写真とか撮ってブログにも載せちゃおう☆などと画策していたけど、そもそもこれまでの人生において自分の家がオシャレだった試しがない。ましてや1歳児がいるおかげで、片付けるそばから散らかしてくれる賽の河原状態なのにいつオシャレが来てくれるの?
というわけでもうこれからはありのままにダサい感じでブログ更新していきたいと思いまーす。
さて本題。備忘録というか回顧録になってしまうけど、慰霊の日について。
タイミングとかだいぶ遅い気がするけどまあいいや。
慰霊の日というのは沖縄戦が終わったとされる1945年6月23日にちなんだ記念日。沖縄では公休日扱いとなります。
ゴールデンウイークが終わり、しばらくすると沖縄地方に梅雨が来る。
梅雨の時期が大嫌いだった。雨や湿度の問題ではない。
小学校の図書室が、沖縄戦の写真展示場となる。この時期だけは図書室に行かないようにしていた。
戦争の写真。たくさんの死体。生き残った人達の顔は悲しみよりも疲労が濃く、どこも見ていない目をしていたのを覚えている。
社会科の宿題はおじいおばあから沖縄戦の話を聞いて、戦争の悲惨さを学ぶというもの。
私の祖母は、戦争の話をしても面白くない、そもそも覚えていない。それよりも…と戦前の、祖母の若かりし日の思い出を聞かせてくれた。
祖父は戦死しているのでもちろん会った事はないけれど、祖母がよく話してくれたので(話の殆どがのろけ)、祖父を身近に感じる事が出来たしその死を悼む事ができた。
祖父が、兵隊さんが、あの頃の日本人が、あまりにも多くを犠牲にして築いた平和を大事にしなさい。戦争がどういうものかなんて知らなくていい。子どもは楽しい事をしなさい。いっぱい遊びなさい。
祖母はそう言うと、いつも決まって庭からヨモギをむしってジューサーにかけて私に飲ませた。ヨモギジュースは色が白くなるから!と言う祖母の目を盗んで、いつも流しに捨てていた。飲めないよ…
あれ、話がズレた。
慰霊の日が近付くと、私の小学校では沖縄戦について色々と授業があった。雨のように艦砲射撃がー手が腐ってーアメリカーに捕まるくらいならー
悲惨な写真やアニメ、語り部など駆使して戦争の恐ろしさを叩き込む。
ある日突然戦争が起きたらどうしよう、寝ている間に空襲があったらどうしよう。家族とバラバラになったらどうしよう。不安で夜も眠れなかった。
戦争を二度と繰り返さないように、歴史から学ぶのであれば、戦争に至った経緯をきちんと教えてほしかった。音楽の教科書の君が代のページに何の関係もないプリントを貼り付けさせ、君が代を教えないなんてことせずに、きちんと教えたうえで己の考えを示してほしかった。フェアじゃない。どう考えても愛情がゆえではない。教育にイデオロギーを持ち込まないでほしかった。
もう30年も前の事なので、私の記憶にもバイアスがかかっているかもしれないが、親になった今、我が子には強い洗脳のような、あんな教育は受けて欲しくない。アイデンティティの軸足を被害者意識においてほしくない。
もちろん戦争を肯定している訳ではない。
ちょっと大げさで支離滅裂になってしまった。
夫に小学校での沖縄戦の授業どう思ったかきいたら、普段の授業が潰れてラッキー、ですって。
私も慰霊の日学校休みだやったー!としか思ってなかったかも。
夜中の深い時間に書いて、そのまま寝ぼけてアップした模様。
読み直してみると、すごく普通の事をちょっとねっとりと書いてあるだけだけど、そのまま公開しておきます。
私が子どもだった頃の空気感や、戦争教育について思うことをライトに、でも真面目に書きたかったけど、筆力なく読み応えのないものになってしまいました。
沖縄で生まれ育った人間の、小さな一意見として読んで頂けたらと。
ひとつのエントリーではとても書ききれないので、また書こうと思います。
ブログを始めたきっかけなど
今週のお題「私がブログを書く理由」