水曜日はフェルトへ

今は自分語りしか出来ない…

わきまえてる感…つらい

先月で39歳になった。

今までの人生を振り返ると、恥ずかしいことだらけでうわああああとなる。

30代は心身ともに不調な日々が続いたけれども、ようやく気力体力が上向いてきた。まだまだ時間はかかりそうだけど、焦らずに立て直していきたい。

29歳の誕生日は違う場所に住んでいて、たくさんの人が祝ってくれた。あの頃は毎日がキラキラしていた。今はもう違う道を歩む友人達。色々なことがあったけど、この日を思い出すと今でも幸せな気分になる。…最近ようやく思い出すことができたんだけど。

今年は10年前のような華やかさはない。なりたかった職業にも就いていないし、住みたかった街にもいない。でも今は確実に人生の本番そのもので、幼い頃の「未来」は、今現在この瞬間なんだ。自分で選んだ人生をしっかりと生きなくては。

私は小さい頃から漠然と、女性として年老いていくのが怖かった。主体性のない付属物となりただ朽ち果てていく…そんな暗鬱とした想像。今思うと母も祖母もたくましく楽しそうに暮らしていたのに、何に影響を受けたのやら。

5年前に1人でヨーロッパを3週間ほど旅行した。ドイツ、オランダ、ベルギー、スペイン。

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ベルギーのブリュッセルでのことを思い出す。

私はバーのカウンターで1人ビールを飲んでいた。仕事帰りのサラリーマンが待ち合わせに使うようなカジュアルなカフェバーだ。隣の席に座っていた男の子に話しかけられ、お喋りすることに。

彼はブリュッセルの大学に通う学生で、ブリュッセルの見どころを丁寧に教えてくれた。彼自身はテクノが好きで、ベルリンのクラブが最高なんだ!週末パーティーがあるから行きたい!と熱く語っていた。

私がもう33歳だしクラブには行かないかな〜と言うと、信じられない!なんで年齢なんか気にするの?そんなのどうでもいいよ!といった感じ。

彼は20歳そこそこで、私はひと回り以上年上で、一緒にキャッキャはしゃぐ身の程知らずじゃないよ、という気持ちがあったんだろうか。あまり深く考えずに、わきまえてます感を出したんだろう。もしかしたらそんな事ないよ!あなたはまだまだ若いよ!って言ってもらいたかったのかな。だとしたら恥ずかしいな。

彼は私が何歳だろうが心底どうでもよく、私が年齢を気にしているのが信じられないと言った。

彼には私より年上でシングルマザーの彼女がいるそうで、結婚を考えているけどどう思う?と相談してきた。出会って5分の人間に何言ってんだ、と思いつつも悩みを聞いてあげた。私に対する下心などまるでないということをアピールしたかったんだろう。

この後、これまた1人でコーヒーを飲んでいたおじさんも一緒に、3人でインド料理を食べに行った。そのあとデリリウムカフェに行った。

もう名前も顔も覚えていないけど、どんな会話をしたのかは覚えていて、自分の年齢や将来に向き合う時に思い出しては励まされる。

年齢や性別にとらわれない生き方をしているつもりだったのに、割とガチガチに縛られていて、物分かりのいい、わきまえてる自分というのが優先されていることに気づいて、とてもショックだった。でも、まだまだ自由になれることはうれしい。

 

今、私は若い頃のリビドーに突き動かされるような、衝動を爆発させてもやりすごしてもとにかくしんどいあの感じから解放されて、楽に生きれるようになった。

気がつくと母親とは、妻とは、アラフォーとは…と色んな枠を作って息苦しくなるときがある。家事も下手くそ、育児も不慣れで精一杯なくせに、こうあるべきという理想だけは高くなるし、正体のわからない世間というものにどこか迎合しようとする。

わきまえてる感が暴走すると本当につまらない。

気がつくと年相応で無難で流行りで話題のものを探すんだ。

で、そのわきまえてる感が嫌になると今度は疾走感を求めて走り出すんだ。

走り出すと疲れる。怪我する。恥をかく。

そしてまたわきまえてる感…。

今は歩いているつもり。

毎日楽しい。